GitHubとかCapistranoとか
ちょうどこの本の刊行と前後して、Capistranoの作者からメンテナンス終了のお知らせが出たことは記憶に新しいかと思います(ちょっとポインタを失念しましたが、最近になって後継メンテナに名乗り出た方がいたような)。すばらしいプロダクトを作った方が燃え尽きてしまうというのはものすごく寂しく、巡り巡って申し訳ない気分です。
そうなんですが、実利で困るかというと、今のCapistranoはだいぶ安定しているから困らないな、というのも確かです。ですからRailsデプロイに書いてあるCapiのことが無駄になるかというとそんなことないと思いますよ。
もちろん、あまり困らない理由にはGitHubの登場はコミッタを特権階級から追い落とす革命だったで瀧内さんが書いていたこともあります。タイトルは煽りすぎというか「特権階級」から「追い落とす」ってのは表現が過激すぎると思いますけど。
なにがいいたいのかというと、OSSが大部分実用的になって、またGitHubやたぶんHubじゃない分散SCMとしてのGitが流行してきたことで、ライブラリ/プロダクトのユーザ*1はただの「ユーザ」ではいられなくなったのかな、と。
「作者が対応してくれない」とか「コミュニティのサポートがない」という言質の言い訳ビリティがどんどん下がって、お客様に価値を届けられるものを自分たちで覚悟を持って使わなきゃいけない、と思いました。逆に覚悟とそれなりの実力*2が足りていればそこのリスクがとれるし、突然のメンテ中止でも落ち着いて今後の道を考えられるようになる、と。
言い換えると、「コミッタを追い落とす」というよりは、自分たちもそこに上ることが義務づけられた、あるいは下から石を投げるだけというのは許されなくなった、というのが実感です。まぁ難儀だけどいい時代になったな、と思います。
そういうことで、私は当面、プロダクションではCapistranoを使うと思いますし、そのときはRailsデプロイを引くと思いますし、バグに逢えば新メンテナの人にパッチを送るしと思います。もちろん、対抗馬へのアンテナも掲げてようと思います。